春。 瀕死のセミの様にねりねりと鳴る、電池の切れそうになった目覚まし時計を止める。 間隔の狭い三段ベッドの一番下からずるりと這い出てみても、頭はいまだに夢の中。 カーテンを明けて窓を開放すると、気持ちよい風が寝癖のついた髪をくすぐる。 窓の外に植えられている桜の樹。その枝の間にちらほらと白い花が覗く今日この頃。 花粉症の私としては未だつらい時期ではありますが、それすらも忘れさせるほど爽やかな朝。 今日はフェミニン学院の入学式。 私は地元の中学を卒業して、4月からフェミニン学院の高等部に編入することになりました。 それも、中学の時に仲良しだった親友二人と一緒に。これって凄い事かも。 そんな浮き足立った私に、ただ一つ心配事があるとすれば、それは将来の道が未だ決まってない事ぐらいです。 だからフェミニン学院で進路を決定することが、私の第一目標なんです。 ああ、自己紹介がまだでしたね。 初めまして、私の名前は「柿乃 種子」仲良し3人組の皆からは「ターちゃん」って呼ばれてます。 なんだかジャングルの王者みたいなニックネームですが、私は結構気に入ってます。 「お早う、ターちゃん」 三段ベッドの一番上から「鱈未 千佳(鱈チー)」が気だるそうに挨拶を投げてくきます。 二段目の「剣崎 するめ(スーさん)」はまだ起きてきません。 この二人がフェミニン学生寮のルームメイトです。 小学校の頃からずっと一緒で、他の生徒達からは「おつまみ三姉妹」とか言われてました。 私たちが三人揃って朝が弱いのは、別に毎晩酒盛りしているからではないですが……。
「新入生のみなさん、そして、今年から新しく編入した生徒のみなさん、フェミニン学院へようこそ。 この学院の運営は全て、生徒達の手によって執り行われています。 みなさん、私達生徒会と共に豊かな学院を作っていきましょう。そして、この広い学院を楽しい思い出で一杯にしましょう。」 今、私達新入生は講堂に集合し、フェミニン学院の生徒会長である、神宮寺奏様の挨拶を聞いています。 噂には聞いていたけど、奏様はお美しいです。世界に名だたる神宮寺財閥の直系にして次期当主。まさにお嬢様の中のお嬢様。 皆の羨望を一身に受けながらも、凛とした姿勢で返すその眼差しには、極上の包容力があります。 噂では、あまりの人気のため生徒会公認ファンクラブが設立され、その会員数は百万人を優に超えるとか…… はあぁぁ……スケールが違いすぎる。 続いて生徒会執行部の小笠原祥子様のピアノ演奏。 こちらの方も小笠原財閥のご令嬢で、やはりお嬢様中のお嬢様。 洗練された優雅な動作に、本物のお嬢様の貫禄があります。 隣に座ってる鱈チーもスーさんも、頬を朱に染めながらじっと眺めています。 私達庶民がご拝顔することさえ滅多に叶わぬお姿に、一同出るのは溜息ばかり。 なんというか、錚々たる顔ぶれの圧倒的な雰囲気に呑まれそうですが。 「やっほー、みんなのアイドル、リリスちゃんで〜す」 最後に、脱力気味な理事長の挨拶を聞いて、入学式は終了しました。
背骨が伸びっぱなしだった式からようやく開放され、私達三人は学院の案内を聞くため、空き教室へと案内されます。 窓から見える学院施設は様々で、いかにも近代風なものから、ゴシック建築ぽい教会、アールなんとか調の高層建築、 ピンクネオンの裏通りや、どんな材質で出来ているのかすら分からない未来風の建物まで種々雑多。 事前にブ厚い案内資料が配布されていましたが、フェミニン学院は広大で施設も多いため、 毎年、迷子にならないようにと少人数の組に分けて案内してくれるそうです。 まるで美術館の観光ツアー、というより遊園地のアトラクションみたいです。 「初めまして、私は新入生案内役の蘭堂と申します。皆さんとは四月から一緒のクラスですよね?よろしくおねがいしまーす。」 右手に人形をはめた生徒が、一歩前に進み出て握手を求めてきたので、私達も一人一人握手を交わします。 私の利き腕は右手なんだけど、彼女の右手が人形なので仕方なく左手で握手しました。 「俺の名前はプッチャン、それ以上でもそれ以下でもない、只の人形だ。親切な俺様が校門から説明してやるから、お前ら黙って付いて来いよ。」 突然、右手の人形がしゃべり始めたので、私達三人は揃って驚きの声を上げました。 「わぁ〜、腹話術上手なんですね!」 「俺のは腹話術じゃねーよ!……まあ、説明するのも面倒だから別にいいがな。」
「はとちゃん、おっは〜」 「うひゃあぁぁぁ!」 校門前に辿り着いた私たちを待っていたかの様に突然の出来事。 ショートカットの女生徒にいきなりぱんつを下ろされ、慌てふためくツインテールの女生徒が……。 「もー、陽子ちゃん、いつもひどいよー」 「あはははは〜、はとちゃんがぼーっとしてるから悪いのさ!」 恥ずかしそうに辺りを見回して、いそいそとぱんつをずり上げる「はとちゃん」と呼ばれた生徒。 破廉恥な行動を躊躇無く実行した「陽子ちゃん」は、そんな仕草を眺めながら小悪魔のようにけらけらと笑っています。 な、何なのだろうコレは……俗に“イジメ”と呼ばれるものだろうか?…… 目の前で起こった出来事に目を丸くしている私達に、蘭堂さんが説明してくれます。 「あーー、あれはフェミニン学院の朝の挨拶みたいなものです。何でも、生徒会の白薔薇様が考案した挨拶だとか……」 「おい、りの、前白薔薇様じゃなかったか?まあ、俺はどっちでもいいがな……」 こんな事が毎朝行われているとは…… フェミニン学院は噂以上です。なんていうかもー、百合とか超えてます。 「あっ!あの人が白薔薇様ですよ?」 蘭堂さんが、銀杏並木の陰から現れた一人の女生徒を指差します――ウェーブのかかった栗色の髪が美しい人。 歩き方も清楚で、とてもそんな破廉恥な事を考えてる様には見えないけど、人は見かけによらないっていうし……そんな事を考えていると……こちらに気付いた白薔薇様はにっこり微笑んで、軽い会釈を返しました。 慌てて私達も、スカートの端を必死で押さえながら深くおじぎします。 あの人には決して逆らわないようにしよう……
「正門から伸びる道をまっすぐ歩くと、マリア像の前に出ま〜す。そこから初等部、中等部、高等部へと道が分かれているんですよ?」 「おい、ちょっと待てりの、誰か居るみてーだぞ?」 マリア像の前。フェミニン学院の生徒同士が向き合って立っています。―― これはもしや、噂に名高い姉妹制度の継承では?まさか、入学初日に見られるとは思っていませんでしたが……。 マリア像が見守るなか、 切り揃えた黒髪の少女達が、ただお互いの瞳のみを見つめ合っている姿は、まるで姉妹というより恋人同士の様です。 私達は、お二人の邪魔をせぬように、遠くから見守ります。 マリア像の周りに咲き乱れる薔薇も、まるで二人を祝福するかのように風に花びらを送ります。 二人は風に流れる髪をそっとかきあげると、姿勢を正しました。いよいよ姉妹制度の儀式、ロザリオの授与が行われる様です。 背の高い生徒が、懐から赤いものを取り出しました。 「北海道産の最高級タラバガニよ」 (これはウソ、近所のスーパーで買った) 「……こ、これを……私に?」 「私のスールに相応しいのは姫子、貴女だけよ」 (これもウソ、本当はもう誰でもいい) 「マホ〜!静お姉さま、どこまでもついて行きます〜。ジーク・キャンサー!」 ……あの蟹は本物なんでしょうか? なぜか、何処からか蟹かまぼこの香りがするんですが……
先程のマリア像の分かれ道から、少し外れた場所にその建物は在りました。 「ここは生徒会執行部の薔薇様達が、普段いらっしゃる通称『薔薇の館』ですよ。」 「まあ、この学院でブイブイ言わしてる奴等の溜まり場だな。お前らも、何か事件があったらここに駆け込んどけ。困った時の薔薇頼みってヤツさ。」 薔薇の館は、その名の通り薔薇に囲まれた庭のある、二階建ての建物です。 私達は、生徒会のお仕事の邪魔にならぬよう、そっと中を見学します。二階に人の居る気配があり、階下にも話し声が聞こえてきます。どなたがいらっしゃるのか気になった私達は、二階にもお邪魔させてもらう事にしました。 二回のドアは半開きになっており、ドアの隙間から中の様子をある程度窺い見る事が出来ます。その部屋の中では豪華な椅子に腰掛け本を読んでいる赤いドレスの少女と、つい先ほど走ってきたのか、息を切らせたツインテールの生徒が見えます。何だか言い合っているようですが…… 「ちょっと祐巳、私は紅茶を淹れなさいと言った筈よ。ソレは何?」 「あ、あの……缶紅茶ですけど。」 「しかもソレは炭酸の入ったティー・ソーダ(KIRIN)よ、何故フォーションか午後の紅茶にしないの。全く、使えない家来だこと。」 「す、すみません、生憎売り切れで、これしか残ってなくて……それに、私は雛苺のミーディアムなんですが。」 「この私に口答えをするの?あなたの姉の主人なのだから、その妹が私に仕えるのは当然の事ではなくて?…… まあいいわ、折角だから新しい味を試してみるのも悪くないかもしれないわ。」 そう言いながら、人差し指をクイクイと曲げ、手招きします。「祐巳」と呼ばれた生徒は、城主に贈答品を献上するように前に跪いて、おずおずと缶を差し出します。 赤いドレスの少女はそれを受け取ると、何を思ったのか缶のプルタブを二三度カチカチと鳴らすと、再び祐巳さんに手渡しました。 「祐巳、開けて頂戴。」 祐巳さんはしぶしぶ受け取り 、ふたを開けて返します。 「結構、今度私に缶の飲み物を渡す時は、気を利かせなさ……ぶぅ!」 赤いドレスの少女が飲んでいたものを吹き出します。 「何よコレ、ぬるいわ!私ともあろうものが思わず吹いてしまったではないの。」 「はあ、そういえば買うときに『体温ですニャー』とかいう声が聞こえたような……」 赤いドレスの少女はイスの横に置いてあったステッキを手にすると、祐巳さんに向かって振り上げます。 「きいぃ!貴女は何てモノを主人に飲ませるの!」 「ああっ、すみません、すみません……」 私達は気を利かせ、全てを見なかった事にしてその場を立ち去る事にしました。
今、私達はセキュリティロックの掛かった警戒厳重な扉の前に立っています。 第一級の危険生物を隔離したような物々しい扉から、あらゆる不安な想像が掻き立てられます。 鱈チーもスーさんも、麻薬の密売現場に突入する警官隊の様な、不安と気合が入り混じった微妙な表情をしてます。 「フェミニン学院では特に優秀な生徒には、特例として研究室が与えられる事もあるんですよ」 「まあ、優秀っつっても大抵はヒキコモリの変人だがな。天は二物を与えずってやつさ。」 蘭堂さんはポケットからカードを取り出すと、左手の人形に咥えさせてカードリーダーにガリガリと通します。 二回の認証エラーの後、インターホンの会話ボタンが点灯しました。 蘭堂さんがそのボタンを押して会話を試みます。 「ガッ……あのー?……もしもし?……天京院さん居ますかぁ?」 「ガッ……何だ?君たちは……用があるなら後にしてくれ。私は忙しい……ブツリ」 一方的に切られてしまいました。 数秒の沈黙の後、蘭堂さんが再びカードを通し、ボタンを押し、再度コンタクトを試みます。 「あのー、生徒会の市川さんからの書類も持ってきてるんですが。」 ブツブツと良く聞き取れない声が聞こえた後「ゴシュッ」と何かが外れる様な音がして、自動で扉が開きました。 私達は蘭堂さんに続いて“天京院鼎・研究室”と書かれた部屋へと入っていきます。 予想に反し天京院さんらしき人は黒ぶち眼鏡を掛けた普通の女生徒でした。 制服の上に白衣を羽織った姿はいかにも理知的だけど、 気だるそうにスナック菓子の様なものをポリポリと齧っている姿がそれを打ち消しています。 天京院さんは椅子に座ったままこちらを一瞥すると、パソコンに向かって打ち込みを始めました。 蘭堂さんが画面を興味深げに覗き込むと、天京院さんは蠅を払うような仕草で追い払います。 「私は新入生の方達を案内しているんですが、天京院さんは今何してるんですか?」 「あーもう、見えないぞ……邪魔だからそこの机に書類を置いて、さっさと帰ってくれ。」 「けっ、そんなだから友達がいねーんだよ。何か茶菓子でも出して持て成してやれよ。」 「何だと?この人形風情が……まあ、概ね事実だが。そう言われても、私の研究室に不要な菓子など置いてないからな。仕方ない。こんなものしかないが、まあ、君たちもひとつどうかね?」 そう言って目の前に出されたのは……コーヒーカップ山盛りのコーヒー豆でした。
「うう〜おなか痛いよ〜」 「大丈夫か?りの……欲張って食いすぎるからだ。」 黒い豆をようやく食べ終えた私達は四人は、蘭堂さんを連れて保健室に連れて行くことになりました。 ちなみに、天京院さんに出された茶菓子は、ほとんど焙煎されていない生豆に近い状態のものでした。 うう……口の中がまだじゃりじゃりします…… 「そこの廊下を曲がって突き当たりだ」 蘭堂さんが右手にはめた人形、プッチャンさんの案内でどうにか保健室に辿り着きました。 それにしても蘭堂さん、こんな状態で腹話術を使うとは、すごい芸人根性です。見直しました。 三人で保健室に蘭堂さんを担ぎ込みます。保健室には白衣の保健医さんが優しく出迎えてくれました。 表札には、「本日の担当医:リツコ先生」と書いてあります。苗字はありません。 リツコ先生は、さすが保健の先生は手馴れたもので、淡々とした口調で私達に指示を送ります。 一瞬、白衣の裾からボンデージのような衣装が覗いた気もしますが気のせいでしょう。 「そう、そこのベッドが空いてるからそこを使って……」 ふと、ベッドの下のスペースに置いてある、ダンボールが目に留まります。 ロウソクや羽ぼうき、皮ベルトやピンク色の何かが沢山詰まったダンボールが置いてあるけど、何の治療に使うのかな? 「薬をあげるから、直るまでしばらくベッドで寝てなさい……ウフフ」 「そういう訳だお前ら、俺達の案内はここまでだ、あとは自分たちでなんとかしろ」 「あう〜すみませーん」 仕方なく蘭堂さん達を残し、私達は先生に追い立てられるように保健室を後にしました。 蘭堂さんという案内役を欠いた私達は、方々に立てられた案内板を頼りに、適当に校舎をうろつきまわる事に。 「ねぇ、スーさん、これからどうしようか?」 「そうねぇ、みんなお腹空いてない?私はさっき中途半端に食べたからお腹空いてきた。鱈チーは?」 「私も。お昼時を少し過ぎてるけど、どこかご飯でも食べられる所は……?」 案内板をしばらく見つめ、適当な飲食店を三人で探します。 ええと『中華料理 桃香飯店』、『軽喫茶ブルギバ』、『和風パスタ・えいどり庵』、『重喫茶グロン・ド』、……何だか変な名前の店ばかりです。迷った挙句、一番近い学内喫茶店に立ち寄ることに決まりました。
私たちが口直しに立ち寄った喫茶店。 ありきたりな入り口に反して、お店の内部は広く喫茶店というにはかなりの広さがあります。 まるで、大規模なレストランか結婚式場並みで、ウェイトレスさんも相当な数がいます。 このフェミニン学院では平凡な私達は、出来るだけ隅っこの方へと店内を移動します。 入学式でセレブを多数見ていたため、私達には端っこの席が似合ってると考えたからです。 どうせ、私たち“おつまみ三姉妹”ですから。 私たちが座る場所を求めてうろついていると、急に背後から声が……。 「うちは一見さんお断りどすえ。」 「ひゃっ!」 いきなり一人のウェイトレスさんに抱きつかれた鱈チーが、驚いて悲鳴を上げました。 「冗談や……堪忍な。新入生のお人おすな?何処から来やはったんどすか?」 抱き付かれたまま耳元で囁かれ、鱈チーが頬を赤らめながら返事をします。 耳がくすぐったいのか、少しもじもじしながら…… 「わ、わらしたち…乙磨観(おつまみ)中学から編入して来たんれす……ハァハァ」 「あんたはんら私立・乙磨観中学といえば結構な学校やあらへんの。理事長はんもこないに可愛らしいお子を青田買いしはって、やすけないお人やわぁ。」 「はぁっ……はぁっ…………うっ……(ブルルッ)」 ええと、あおた?……京都弁はあまり訊き慣れていないので正直良く判らないです。 でも、この人は京都弁がすごく似合ってる気がします。 「この学内喫茶『ガルデローベ』へようこそおいでやす。ここは生徒の手によって運営されとるんどすえ。あんじょうよろしゅうな。ところで……ご注文は何にしはります?」 「とりあえず、私はオレンジジュースとサンドイッチ。」 「私はこのレディースセットで。」 「はぁぁ……私は烏龍茶とお茶漬けで。」 ようやくウェイトレスさんから開放された鱈チーは、なんだかぐったりしてます。
喫茶店でまったりした時を過ごした後、私達はフェミニン学院・高等部の本校舎にやって来ました。移動教室になった時迷わないように、あらかじめ美術室や音楽室等、主要な教室の場所を確かめておくのです。 廊下に貼り出されたクラブの勧誘ポスターやお知らせ、校内新聞などをちらちらと横目で見ながら廊下を歩いていきます。人の通りが多いため、 私達はお互いに見失わないように縦の列になって進みます。 しかし、この学院の巨大さには驚かされます。校舎の中を端から端まで歩くには、相当な体力が必要になりそうです。 「あれ?どっかから歌が聞こえない?」 暫くそうして歩くうち、スーさんが何処からか流れてくる美しい歌声に気が付きました。その歌声は、歩いていくうちにだんだんと大きくなってきます。 どうやら階上の音楽室の方から聞こえてくるようで、気が付くと私達の足は自然と音楽室に向いていました。まるで、この世のものとは思えない美声に誘われるアルゴー号のように…… 「綺麗……」 スーさんの言うとおり。歌声の主は、やはりこの世のものとは思えぬほど美しい人でした。風にゆらゆらと揺れるドレスはオーロラの様に幻想的に、美しく折り重なって舞い、まるで海の中に居る様な錯覚すら覚えます。その人は私達に気付くと、なお一層美しい声で歌いながら、ゆらりゆらりと手のひらを翻し、三人を音楽室へと誘います。スーさんと鱈チーの二人は、恍惚とした表情で教室内に歩みを進めます。その後を着いて行く私も、きっと惚けた表情でいる事でしょう。
「いらっしゃい、迷子の子猫さん達……」 気が付くと、私達三人とも音楽室の椅子に座らされていました。目の前には先程歌っていた美しい人が立っています。真っ白なドレスからすらりと伸びる手足は、ドレスの白よりも更に白く見えます。 「 私はここで音楽を教えてる『セイレン』よ。何故、あなた達が此処に居るのか分かる?」 私達がかぶりを振ると、セイレン先生はドレスの裾をゆらりと振りながら話を続けます。 「それは、あなた達に素養があるからよ?特にあなた。」 セイレン先生がにっこり微笑みながら、スーさんを指差します。 「へ?わ、私?」 指差されたスーさんは驚いていますが、私はちょっと羨ましいです。スーさんがそんな隠れた才能を持っていたなんて驚きです。スーさんはカラオケではあまり上手じゃなかったと思うのだけど、きっと音楽教師のセイレン先生が言うんだから間違いは無いのでしょう。 「こういう事は出来るだけ早いうちから始めた方が良いのだけれど、貴女の場合、今から才能を磨いても遅くはないわ。すぐに始めましょう、まずは隣の特別教室で声を出す練習から始めるわよ……ウフフ」 「せ、セイレン先生、私、歌が上手くなるなら精一杯頑張ります。」 「私が教えればすぐに素養は目覚めるわ。大丈夫、あの部屋は私の個人授業を受講する生徒が、どんな声を出しても絶対に外には漏れないように作ってあるわ。思う存分、声を出してもいいのよ……ウッフフフ」 「ごめんねターちゃん、鱈チー。私を待ってなくても大丈夫だからね。」 セイレン先生はスーさんの手を取って特別教室の中へ入っていきました。入口上部に『使用中』のランプがぽつりと点灯します。本当に、声は聞こえてこない様です。
取り残された私達二人は音楽室を後にします。友人が才能を見出されて喜ぶべきなんだろうけど、いつも一緒だった三人が欠けるのは、なんだか寂しいです。 私達が廊下を歩いていると、ある生徒に今度は鱈チーが呼び止められました。額に妙な飾りをつけた、褐色の肌の女生徒です。 「私の名は諏訪部 麒麟と申します。あちらにいらっしゃる藩田 思信様が、あなたと是非お話をしたいと……。」 諏訪部さんが促す方向を見ると、自販機の備え付けられた休憩室に腰掛け、暢気にこちらにひらひらと手を振る女生徒の姿が。 「なんだか、部活動へのお誘いみたい。藩田さんの詩文部へ入らないかって。」 「え?そうなの?いきなりだね。」 「折角だから私、部室を見てこようと思うんだけど、ターちゃんも行く?」 詩文という部活動はあまり聞いたことが無いけど、名前からして高尚な感じがします。理知的な鱈チーには合ってるけど、私には全然似合いそうもないです。 「うーん、私が誘われた訳じゃないし、詩ってあまり興味が無いから、私はいいかな……。」 「それじゃ、私は少しお話とか聞いてくるね。晩御飯までには戻ると思うから……」 鱈チーはそう言うと、諏訪部さんと藩田さんに連れられて行ってしまいました。
結局、一人になってしまった私は、長くなった自分の影を追うように、とぼとぼと寮への道を歩くのでした。下校時刻という事もあり、人通りはそこそこ多いのですが、 それが余計に孤独感を引き立てます。将来の夢を持たない自分が、枠組みから追い出されたような疎外感すら感じながら歩いていると。背後から自動車のクラクションの音が。 「ちょっとあなた、道の真ん中を歩いてたら邪魔よ!……ってあなた、何を泣いてるの?」 「す、すいません、クラクションの音に驚いてしまって……ぐすっ」 潤んだ瞳で脇に寄ると、ドライバーの女性は私の前に車を止め、ハンカチを差し出してくれました。 「私は化学教師の五十嵐 美由紀よ。あなた、寮まで帰るんなら送っていってあげるわ。それとも、気分転換にドライブでも行く?」 半ば強制的に助手席に乗せられ、 私達は少し回り道をして帰路を走り出します。肌寒くなった夕暮れ時を、五十嵐先生の運転するオープンカーはまさに風を切るように走り抜けます。様々な建物が節操無く立ち並ぶフェミニン学院の景色が、まるで歴史の教科書をぱらぱらと捲った様に目まぐるしく移り変わっていきます。五十嵐先生は、新入生の私の為にフェミニン学院を一周してくれたようで、学生寮に着いた頃にはすっかり日は落ち、いつの間にか涙も乾いていました。 「ありがとうございました。五十嵐先生。」 オープンカーの 助手席のドアを閉め、私は感謝を込めてお礼の言葉を伝えます。寮の外から見える私達の部屋の明かりは点いておらず、スーさんも鱈チーもまだ帰っていないみたいでしたが、私の心は軽くなりました。 「私、先生になります。」 「……?」 「五十嵐先生みたいな先生になりたいんです。」 「ふーん……」 五十嵐先生は暫く考え事をする様に口に手を当てた後、私に向かって言いました。 「 あなた、今から私の部屋に来ない?お酒ぐらいしか置いてないけど、私が先生になる事の素晴らしさを教えてあげるわよ?」 私は、寮の入口へ続く道を振り返り逡巡します。気持ちが揺れるかと思ったのですが、何故か迷う気持ちが無いのが不思議でした。きっと今の私にはこれが一番正しい道だと信じたからでしょう。 エンジンが大きく二度唸ると、私を乗せた車は轍を残して走り出しました。
朝。 瀕死のセミの様にねりねりと鳴る、電池の切れそうになった目覚まし時計を止める。 私の横で寝ている五十嵐先生を起こさぬようにそっとベッドから抜け出る。 カーテンを明けて窓を開放すると、気持ちよい風が寝癖のついた髪をくすぐる。 ふと、風に肌寒さを感じ、ようやく自分の格好に気が付く。そういえば私、全裸でした。 「う〜……お早う、ターちゃん。うう〜、しゃべると頭がガンガンするわ。」 窓を開けたので起きてしまったのか、五十嵐先生が眠そうに目を擦りながら朝の挨拶を投げてきました。私は精一杯の微笑でそれに応えます。 「五十嵐先生、お早うございます。昨夜の約束、忘れないで下さいね?」 (約束ぅ〜?……私、約束なんてしたっけ?ああ、二日酔いで頭が……) 「先生、朝ごはんは何にします?私、頑張って作りますよ?」 「あ〜〜、朝ご飯ならいいわ。夕べはおつまみを沢山戴いたからね。柿の種とか。」 「やだ……先生ってば(ポッ)」 こうして今日も、新婚生活にも似たフェミニン学院での生活が始まっていくのでした。 <終わり> |